バーバリー撤退後の三陽商会は、百貨店で生き残れるのか!?
日本のマーケットに受け入れられる「バーバリー」を長年普及させてきた三陽商会
以前は「コートのサンヨー」と呼ばれていたほど、レインコートのイメージが強かった日本の老舗アパレルメーカー、三陽商会。終戦直後に工作機械工具の修理・加工・販売の会社から転身し、戦争中に使用されていた「暗幕」を元にレインコートの製造業に乗り出したのが、この会社がファッションの道へと歩む始まりでした。昭和24年に現在の三井物産が受注したレインコートの大量生産により、レインコートメーカーとして発展。その後自社のオリジナルのコートを製作し、百貨店を中心に売り出し大ヒット商品も手がけたことで総合アパレルメーカーとして成長しました。昭和40年からは英国に本社を持つバーバリー社のコートの販売を手がけ、その後同社とライセンス契約を結び、日本のマーケットに受け入れ易いディフュージョンブランドとして「バーバリー・ブルーレーベル」や「バーバリー・ブラックレーベル」などのブランドを開発。バーバリーとはまさに二人三脚で「バーバリーブランド」を日本に普及させてきました。
バーバリーの契約終了は百貨店にとっても危機的な状況
しかしながら、三陽商会は2015年春夏シーズンを最後にバーバリー本社とのライセンス契約を終了。メインブランドの「バーバリーロンドン」の事業は撤退し、バーバリー・ブルーレーベル、バーバリー・ブラックレーベルは冠の「バーバリー」をブランド名から外し、「ブルーレーベル」、「ブラックレーベル」の名前で3年契約のライセンス契約を新たに結ぶことになりました。バーバリー社が長年の相棒でもある三陽商会との契約関係を保古にする理由としては、英国のバーバリー本社の前CEO、アンジェラ・アーレンツ氏が、バーバリーブランドの半額ほどのブルー、ブラック両レーベルにはもともと否定的であったこと、「バーバリーのブランドとしてのステイタス度を高め、ラグジュアリー路線に絞る」という戦略を持っていたことなどが挙げられています。
またその戦略により2010年にスペインでのライセンス契約を直営展開に切り替え成功を収めた結果も今回の三陽商会とのライセンス終了の引き金になったようです。三陽商会としては百貨店を中心にしたバーバリーのショップスタッフ、子会社の抱える生産ラインなどは別のブランドに振り分け維持する表明はしているものの、かなり厳しい経営状態が続くと見られています。特に地方の百貨店では売り上げの大きかった三陽商会のバーバリーショップが無くなることはかなりの痛手のようで、「バーバリーショップをマッキントッシュやポールスチュワートなどのライセンスブランドショップに差し替える」という三陽商会の要望通り、そのまま売り場を維持するかどうかについては否定的な意見も多いようです。
マッキントッシュの飛躍と自社ブランドの成長が今後の三陽商会の社運を握る!?
地方百貨店にとっては、稼ぎ頭であったバーバリー・ブルーレベルとバーバリー・ブラックレーベルですが、果たして今後バーバリーの冠を外した両レーベルに顧客が魅力を感じるかどうか…という部分が一番の懸念材料になっています。三陽商会にはエポカやアマカなどの自社ブランドはあるものの、バーバリーロンドン、バーバリー・ブルーレーベルやブラックレーベルなどと比較すると、圧倒的に知名度が低いのが現実です。
マッキントッシュ、ポールスチュアート、エポカを旗艦事業として売り上げを拡大する
三陽商会は「マッキントッシュ、ポールスチュアート、エポカを旗艦事業として売り上げを拡大する」との目標を発表したのですが、前者2つはライセンスで、後者はオリジナルブランドではあるものの知名度はまだまだ。「エポカに関してはディフュージョンラインも強化してより販路を拡大する予定」との三陽商会ですが、主軸の2つがまた欧米ブランドのライセンスということで「またライセンス頼みか?」と、厳しい見方をする専門家も少なくありません。しかしながら歴史が長いだけに製作力や企画力を有している三陽商会は、日本人のマーケットにはなかなか馴染みづらかったバーバリーのデザインにひねりを効かせ独自に若いマーケットにうける製品として展開して来たという実績があります。
その実績をもとに、比較的有望と言われているマッキントッシュやそのセカンドラインのマッキントッシュ・フィロソフィをいかに日本のマーケットに普及させるか、またライセンスブランドだけではなく、いかに独自の自社ブランドの充実を図ることができるかが重要でしょう。さらに他の日本のブランドが積極的に取り入れているインターネットやSNSによる情報発信などの広報戦略が不十分な状態にテコ入れすることなども、三陽商会が生き残るための大切の課題と言えるでしょう。