バーバリーの歴史
-オープンから現在まで、150年の歴史-

1856年 トーマス・バーバリー、21歳で自分の店を開業
今から、150年前、トーマス・バーバリーは、生地屋の見習い職人でした。この時期、彼は21歳の若さで、自分の店を開きます。場所は、英国、ハンプシャー州、ベイジング・ストークです。いくら素質があったとはいえ、その若さで開業なんて、思い切ったことをしますね。

バーバリーは、とにかく野心の塊のような若者で、単なる洋服屋としての器には、おさまりませんでした。なんと、自らを「洋服の革新家」と名乗っていたそうです。たかだか、21歳の若僧が、すごいですよね。でも、それだけのことを言うだけの素質と研鑚を怠らない姿勢を、彼は持ち合わせていたのです。
おそらく、今日彼が生きていたら、人々は彼のことを、「デザインンの革命者」と呼んだでしょう。ファッションだけでなく、機能面においても改革を追求する、その精神は、バーバリー社の精神の根幹を築くものとなりました。
バーバリーは常に、自ら製作した服の着用性や、機能性を改善していくことに情熱を注ぎ続けました。その甲斐あって、数年のうちに、ジャケットやマフラー、アクセサリーやイヴニングウエアに至るまで様々な商品を幅広く手掛けることとなります。
1870年 スポーツ好きの間で、バーバリー製品が流行
開店してから、わずか数年でバーバリーの店は、アウターウエアの品揃えの良さから人々の評判を呼び、ハンプシャー州を越えて、噂されるようになりました。当時ベイジング・ストークは、ロンドンやイングランド中部、北西部とも鉄道がつながっており、はるばる遠方からお客様が、バーバリーの商品を求めて、店を訪ねてくるようになりました。

特にスポーツ好きの男女は、ハンティングやライチョウ猟、ます釣り、乗馬やサイクリングなどのアウトドア用品を一度に買い込むために、長旅をしてやってくる人もいました。インターネットのない時代にすごいですよね。
バーバリー製のコートやジャケット、ケープやキルト、乗馬用のズボンなどは、丈夫で、風や雨、冷気、草花のとげなどから、身を守ってくれます。バーバリーの店は、取扱商品の種類を増やして、1870年の頃には、大商店へと登りつめていきます。
「バーバリのおかげで、私は、この上ない満足感を味わっているよ。釣りやサイクリング、散歩等、バーバリを着て出かけているけど、全く濡れることがないんだ。」
- ”オープン・スペース”1930年頃、C.P.T大佐からバーバリーへ送られた手紙の内容
1880年 販売だけではなく、生地から開発する
トーマス・バーバリーは、販売だけでなく、自ら製作した製品の機能を改善すること、及びそうした製作方法に、疑問を投げかける事に徹して仕事を行っていました。要するにいいものを作るために、徹底的にやったということですね。

バーバリーは、長繊維のエジプト綿を極めて細く織り上げた、格別に機能性の優れた生地を開発しました。1870年代後半のことですそして、その生地に独特の方法で加工を施し、防水性に長けて、丈夫で破れにくく、その上オールシーズン、着用可能な生地へと改善したのです。なんだか、魔法使いが作ったような生地に聞こえてきませんか?
バーバリーは、この生地を用いて、陸軍将校や探検家、登山家の人の為に、衣服を作りました。また、一般の人たちにも、寒さや風雨から身を防護するための機能を寄与しました。
シェイクスピアの戯曲に「テンペスト」というのがあります。その中に、キャリバンンと言うキャラクターが登場しています。キャリバンの着ている上着”ギャバジン”の描写から、ヒントを得て、彼は、この生地をギャバジンと名付けました。
シェイクスピアの戯曲と言うところが、なんだか、彼の深い教養を表していますね。で、その戯曲の一説があるので、ご覧になってくださいね。
『あー、また嵐が来たぜ。見渡したところ、どこにも隠れる場所は無いな。こんな時は、そう、このギャバジンに潜り込むに限るぜ!嵐が行ってしまうまで、このギャバジンにしっかりとくるまっていよう。それが、一番だ。』
- ”テンペスト” 1611年頃、ウィリアム・シェイクスピア著
1891年 ロンドンに新店舗を開店
たった数年でギャバジンの高性能ぶりが人々の間に、知れわたりました。そして、バーバリーの製品は、国内だけでなく、外国にも確固たる需要を持つようになりました。1891年に入り、バーバリーは、ロンドンに店舗を構えることを、強く望まれ、ヘイマーケット30番地に新しく店舗をオープンします。

この頃、社名を「トーマス・バーバリー&サンズ」と変更しています。
1900年になると、ヘイマーケット18-22に店舗を移動します。この時建てられた建物は、建築家のウォルター・ケイブが手掛けたものです。現在は、バーバリーの本社兼ショールームとなって活用されています。
クラシカルで威厳のある建物、とっても立派で目の前にあったら、見上げてしまいそうです。こんな立派な建物、いったい誰が設計したのでしょうか?英国の建築士協会の、ウォルター・ケイブ氏が設計を手掛けています。そして、現存し、今も使用されています。
- 1930年頃、”オープン・スペース” コラシアス・ガルルルス
1901年 バーバリーの紋章、誕生
1901年 バーバリーブランドの社会的地位が高くなり、また、さらに多くの方たちにバーバリーの商品になれ親しんでもらう目的で、バーバリーの紋章のデザインが考案されます。 騎士が鎧を身に付け、馬にまたがる勇ましい姿は現在も、バーバリーのシンボルマークとして、人々に親しまれています。

このシンボルマークは、ウォレス・コレクションにある鎧一式から、啓発され、考案されました。高潔で、防衛本能があり、しかも革新的なイメージも兼ね備えているということで、このデザインが選ばれました。
ナイトの持つ旗に注目してみると、そこには「Prorsum」と書かれています。ラテン語で”前進”という意味です。また、この言葉には、”進歩”とか”創意”というイメージも、込められています。なるほど、常に研鑚することを惜しまず、創意工夫を凝らしたものを創ろうとするバーバリーには、ぴったりの紋章というわけですね。
”Prorsum”=ラテン語で”前進”という意味のこの言葉をチョイスした時、バーバリーは、他よりも1歩先を進み、未来を構築していく自社の姿を、想像していたのです。
- クリストファー・ベイリー談、バーバリー、クリエイティブ・ディレクター
1911年 偉大なる記録の影に、バーバリー在り
移動手段が変わると、それに伴い、衣服の形態も新しいタイプの物が求められるようになります。分厚いツイード、レザー製のバーバリーのコートなどは、自動車の運転を初めて、し始めた人たちが来ていた防寒服です。
ギャバジンは、軽く、そして雨風にも強く探検家たちの間で、愛用されていました。極寒の吹雪、また、高地での寒風から彼らの身をプロテクトしてくれました。

南極点到達レースで、勝利したノルウェー人のロアルド・アムンゼン大佐は、バーバリー製品を身に付けていました。そして、後から来るであろうスコット大佐の為に、ギャバジンのテントを残して、自分が先にゴールに到達した証にしました。
偉大なる探検の記録の影に、バーバリーの功績あり!というわけですね。さらに、付け加えると、今度は南極大陸横断に挑んだ、アーネスト・シャックルトン卿は、全身をバーバリーで防御していたそうです。
なんと、2日間もシェルターがないところで、極寒の中過ごして命が助かったのは、ギャバジンを何枚も重ねて着ていたからだと主張する隊員もいたそうです。「うーん、恐るべし、ギャバジン」と言いたいですね。
1914年 戦争とバーバリー、トレンチコートの誕生

戦争というと、武器や化学が発展するという背景を持っています。では、ファッションについてはどうでしょうか?ハリウッド俳優が映画で身にまとっていたトレンチコート、これって戦争がきっかけで作られたのです。
なんだか、ファッションの分野にまで戦争が影響を与えるって意外な気もしますが、でも事実なんです。第1次世界大戦では(1914年から1918年)、バーバリーの全天候型のギャバジンコートが、連合国の将校たちの間で着用されました。
その数、なんと50万着。うーん、生産するだけでも、かなり大変そうですね。バーバリーは、将校用の外套を塹壕(トレンチ)での戦闘に耐えうるように、改良を加えます。英国陸軍省より、依頼を受けたからです。
Dリング(手りゅう弾や地図、フラスコを入れたカバンなどを固定させるための物)、肩章(鞄や双眼鏡のストラップを通すための物)が、加えられ、トレンチコートの原型となるスタイルが出来上がったのです。
戦後、トレンチコートは、独立心や優雅さ、色あせることのないスタイルの象徴として、人々の記憶の中に残ります。
ハリウッド映画でも、名優たちがこのトレンチコートを羽織って、活躍しています。例えば、『カサブランカ』のハンフリー・ホガートや、『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンなどは、雨の中、トレンチコートを羽織って、雨から身を守っています。
次のエピソードも、興味深いものです。
「どうか、私に貴社の防水コートを一枚送ってくださいませんでしょうか?私の以前持っていたコートは、行軍の際、なくしてしまいました。ここ、戦地では、ほとんどの隊員たちが、バーバリーのコートを着ています。それぐらい、ここでは、貴社のコートは、大事なものなんです。」
- ”オープン・スペース” 1930年頃、A.C.M中尉からバーバリー宛の手紙の内容
1920年 バーバリーチェック、登場。
黒、キャメル、白、それに赤と言ったらどんな柄を、想像されますか?そう、バーバリーチェックです。今では、誰もが知っているこのバーバリーチェック、1920年に初めて人前に登場します。トレンチコートの裏地として使われたわけですが、残念ながら人々の注目を集めることはありませんでした。

バーバリーチェックが人々の間で注目されるようになったのは、1964年東京オリンピックの年です。東京オリンピック出場の為、飛行機に乗り込もうとした英国の女子チームが、腕にかけていたトレンチコートの裏地が見えた時から、世間の注目を浴び、バーバリーチェックはたった一晩で、ステイタスシンボルとなりました。
今の時代、このチェック柄を見ただけで、高級ブランド品だと思う人、たくさんいますよね。それだけ、バーバリーが、人々の生活に浸透しているってことですね。
トレンチ・コート同様、バーバリーチェックも当社の財産です。とても重要で、なおかつ大切なものです。
- クリストファー・ベイリー談、バーバリー、クリエイティブ・ディレクター
1955,1989年 2つの王室御用達許可証を授与される

バーバリーは、初期の頃から、国内外の王室御用達としての栄誉を受けてきています。
1995年 エリザベス2世より、王室御用達許可証(ロイヤル・ワラント)を授与されました。
1989年 二つ目の王室御用達許可証を(プリンス・オブ・ウェールズ)を授与されました。
20世紀半ばになると、バーバリーは、各界の著名人へと、自社製品の愛用者を拡大していきます。
芸術、スポーツ、政治の分野で有名なそしておしゃれな人たちは、バーバリーのお得意様として存在します。
1930年代の顧客リストをのぞいてみましょう。ウィストン・チャーチル、ジョージ・バーナード・ショー、A.A.ミルトン、W・サマセット・モーム、ラドヤード・キップリング、アル・ジョルソン、オーガスタス・ジョンという名前が、見られます。世界史の教科書に出てきた人たちが、バーバリーの服を着ておしゃれを楽しんでいたなんて親近感がわきますね。
こんな逸話があります。エドワード7世が、雨の日に、「そこのバーバリーを取ってくれ。」と言ったことから、バーバリーのギャバジンは、バーバリーと呼ばれるようになりました。エドワード7世は、最も有名な顧客の一人でした。
- 「ツィンティース・センチュリー・デザイン」1997年、キャサリン・マクダーモット
2006年 オープンから150年経った、今日のバーバリー

バーバリーが初めて、自分の店をオープンして以来、150年の歳月が経っています。バーバリーと聞けば、高品質でイギリス風というイメージが湧く人が、多いです。バーバリーが、デザイン界に残した製品は、全てのバーバリーのコレクションにとって大切な情報を提供し、しかも製品開発のヒントとなるものです。
今日、バーバリーは、世界各地に販売経路を持ち、高級ブランドとしてその名を知られています。
バーバリーは、過去を一掃することなしに、進化してきたと我々は、自負しております。バーバリーの歴史、哲学、英国風の特徴を土台として、新たなモダンなタイプの製品を、今後も、手掛けていきたいと思っております。
- クリストファー・ベイリー談、バーバリー、クリエイティブ・ディレクター
略年表
- 1856 トーマス・バーバリーは、英国、ハンプシャー州、ベイジングストークに、弱冠21歳の若さで紳士服店を開業。
- 1870 デザインの良さ、素材の開発や品質へのこだわりなど、仕事に対する弛まぬ努力が認められ、熱心なお得意様も増え,バーバリー店は、大商店へと発展していきました。
- 1880 高い通気性を持ち、雨風にも強く、しかも破れにくい素材、ギャバジンを開発。
- 1891 バーバリーは、社名を「トーマス・バーバリー&サンズ」と改名。ロンドン、ウエストエンド・ヘイマーケット30番地に店を構えました。
- 1895 タイロッケンを開発。タイロッケンとは、のちにボーア戦争で英国の将校たちに着用されたトレンチコートの原型となるものです。
- 1901 ラテン語で、前進を意味する「Prorsum」が、あしらわれた乗馬の騎士のトレードマークが、この年、初めて人々の前に登場。
- 1911 ノルウェー人の探検家、ロアルド・アムンゼン大佐が、人類史上初の南極点到達に成功。その時、身に付けていたのが、バーバリーでした。
- 1914 英国軍より、新しい戦闘のスタイルにも適応可能な外套の発注を受けたバーバリーは、トレンチコートを完成させました。
- 1920 バーバリーチェックは、商標として登録され、トレンチコートの裏地となり、人々の前に登場。
- 1955 エリザベス2世より、王室ご用達許可証=ロイヤルワラントを、授与されました。
- 1989 二つ目の王室御用達許可証=プリンス・オブ・ウェールズ(チャールズ皇太子より)を受けました。
- 2006 バーバリーは、世界的に有名な高級ブランドとしての地位を築き、全世界のいたるところに、その販売経路を有しています。